羽生善治 対 コンピュータ将棋ソフトは将棋界をどう変えるか その意義

 将棋界において歴代最強の棋士といってよいであろう羽生善治三冠が、将棋ソフト対プロ棋士・電王戦への出場権をかけたトーナメント、叡王戦に参加している。現在のところ、本戦一回戦にて前回優勝者の山崎隆之叡王を破り、二回戦出場を決めている。

 本記事では、第2期を迎える将棋電王戦に羽生善治三冠が参加し、圧倒的な実力を誇る将棋ソフトと戦うことにどのような意味があるのかについて考えてみたいと思う。

 

レーティング的には将棋ソフトは既にトッププロを遥かに上回る実力

 プロ将棋界において、最もコンピュータ将棋ソフトを知り尽くしていると思われる千田翔太五段によると、現状のソフトの実力を考えると、羽生善治をもってしても、ソフトに勝てる見込みは殆ど無いという。 

第4回将棋電王トーナメント、出場ソフト発表! ゲーム/動画 - ニコニコ動画

 更に述べるならば、これはハードウェアのスペックに制限をかけた条件での話である。囲碁AI対プロ囲碁棋士、Alpha GO対イ・セドルのようにハードウェアをほぼ無制限にした場合であれば、全盛期の羽生善治をもってしても、対局をするまでもなく結果は見えているであろう。では仮に、羽生善治対将棋ソフトが実現したとして、将棋ファンはこの対局にどのような意味を見出すべきなのだろうか。

 

プロ将棋の神格化の終焉とスポーツ化

 将棋ソフトによる局面評価の定量化が成される以前、棋力が未熟なアマチュア将棋ファンにとって、プロ将棋はブラックボックスに近いものであった。一つの対局がどのように進行し、どこが勝負のターニングポイントであったのかはプロ棋士自身の解説に頼るしかなく、そこには一種の神格化が生まれる余地があった。

 しかし、将棋ソフトが圧倒的な棋力を携えて出現してからというもの、この神格化は一挙に崩れ去った。局面の評価は冷徹な数字によって表現されるようになり、動画中継ではプロのミスに対するヤジさえ飛ぶようになった。

 この将棋ソフトがもたらした変化に対し、抵抗感を感じる者が多かったのは当然のことといえる。ある棋士は露骨にソフトへの嫌悪感を表明し、情緒に訴えることでソフトの価値を否定する者も現れた。

 しかしながら、プロのプレーに対する批判やヤジは、他のスポーツにおいては当たり前にみられる行為である。ある程度目の肥えた鑑賞者であれば、どのプレーヤーがどの場面でミスをしたのかは容易に把握できる。むしろ観賞者の頭の中には、事前に「理想とするプレー」のようなものが描けているのであり、プロプレーヤーに求められるのは、その理想をいかに実現し、観客を魅了するかということに尽きるのである。

 将棋ソフトによる数値評価と最善手の提示は、プロ将棋に対してもこのような観賞態度を可能にした。すなわち、将棋ソフトはプロ将棋に対し、アートからスポーツへの脱皮を促しているのである。

 

羽生善治というプロ将棋最後の砦

 しかし、事はそう簡単には終わらない。以上に述べた変化は、羽生善治の敗北をもってしか完遂されないのである。

 将棋ファンにとって羽生は神にも近い存在である。他の棋士では成し得ないことであっても、羽生ならもしかしたら…。常にそのような期待を抱かせて止まない棋士なのである。

 このような空想は、羽生が将棋ソフトに敗北しない限り消えることはない。例え棋力において羽生を上回る者が現れ、その棋士がソフトに対し100連敗を喫したところで、ファンの認識が劇的に変わることはないだろう。

 羽生対将棋ソフトは、プロ将棋に対する神格化を解体し、プロ将棋が新たなステージへ進むための最後の一処理であるといえる。将棋界の未来がどのようななるのかは、この変化に対しどのような反応をするかにかかっている。他のスポーツと同じ土俵に立たされたとき、それでも尚プロ将棋がファンを魅了し続けられるかどうか、試されているといえるのである。

 

信仰に終わりはあるか

 しかし、それでも私は羽生三冠が将棋ソフトに勝利することを期待したい。羽生が将棋ソフトの局面評価に対し根本的な構造的欠陥を見出し、人間にしか現状成し得ない手段によって、ソフトを超えてくるのではないかと考えてしまうのである。

 羽生に対する信仰は棋力のみに依拠するものではなく、彼が成し遂げてきた数々の伝説的な実績と、纏う独特のオーラによって創られている。最高の棋士に課せられた課題に対し、羽生自身がどのような答えを出すのか、非常に楽しみでならない。

 

denou.jp

不屈の棋士 (講談社現代新書)

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 おまけ

将棋ソフトの利用による不正防止施策について

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