『たかが世界の終わり』家族の絆って簡単に出来上がるものじゃないですよね - ネタバレと感想

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 2月11日より公開となった、映画『たかが世界の終わり』。

    若き劇作家のルイは、自らに死期が迫っていることを告げに、12年ぶりに家族の元へと向かう。長い空白の時間は家族に何をもたらしたのか。

感想(ネタバレ)

家族との再会 ~気まずい空気

 冒頭、予定よりも早く着いた主人公のルイを家族が迎えるシーンで既に気まずい空気が漂っています。いやによそよそしい態度に加え、兄弟同士の会話は母や義姉、妹といった女性陣を介してしか成り立たないという始末。このような家族関係のあり方は日本人にとってもお馴染みといいますか、似たようなコミュニケーションの構造を持っている家庭も多いのではないかと思います。母親が亡くなったら一切会話がなくなりそうな感じ。

一時の安らぎ

 母はなんとか兄弟の仲を取り持とうと、昔の思い出話を皆に語ってみせます。何度となく聞かされた話にうんざりするアントワーヌですが、家族の間には多少和やかな空気が流れます。ラジオからは日本でもおなじみの「恋のマイアヒ(のまのまイェイ)」が大音量で流れ出します。道化を演じようと、音楽に合わせて踊りだす母の努力は涙ぐましいものです。しかし、これも所詮一時の慰めでしかありません。

埋めがたい12年の空白

 12年というあまりに長い時間のなかで、兄との関係は大きくこじれてしまっていました。一人家を出た弟によって、残されたアントワーヌは一家に対して大きな責任を負うこととなりました。劇作家としてキャリアを積んでいく弟を横目に、家と家族に縛り付けられ自由を奪われた彼の不満はもっともといえるものかもしれません。

 一方、年の離れた妹シュザンヌはほとんど他人のようで、彼女はルイに対して羨望にも近い感情を抱いています。このような感情は距離があるからこそ芽生えうるもので、ルイに関する記憶がほとんどないために、彼女は長い時間をかけて兄の幻像を作り上げてしまったのでしょう。

傍観者としての義姉の存在

 義姉は家族からは少し距離を置いている立場なので、この家族が陥っている状況を冷静にながめています。アントワーヌほどルイの嫌な部分を知っているわけでもなく、妹のシュザンヌほどルイを過度に神格化することもなく、中立に近い立場で兄弟の本質的な部分を抉り出します。

 冒頭での自身の家族の話に対するルイの反応から、彼が家族に対し全く関心を持っておらず、突然帰ってきたのも彼自身のエゴによるものだということを見抜いています。結局のところルイは病に苦しむ自分に酔っているのみで、12年の間家族が何を考えてきたのかなど考える由もありません。

アントワーヌの怒り

 この家族が抱えている問題は当事者同士が考えをぶつけることでしか解決せず、取り繕った会話など役に立ちません。

 兄のアントワーヌは何度となくルイに対し本音を語るよう促します。彼に向ける言葉は乱暴なものですが、変に繕うようなことはせずルイに対して抱いている感情をはっきりと語ります。しかし、ルイは上手い場面で自身の話を切り出すことにのみ注意を向けて、下らない話を振るばかり。

 アントワーヌはもはや怒りを隠すこともせず、ルイを気取り屋の嘘つき野郎と非難し、厳しい言葉を投げかけます。

それぞれが抱えていた思い

 死が迫っていることを告白し、これまでのわだかまりを全て無かったことにしようとするルイですが、アントワーヌはそれを許そうとはしません。語る隙など与えない、彼の行いが簡単に許されてはならないのだという強い憤りを感じさせます。

 一刻も早くルイを追い出そうとするアントワーヌに対し、母と妹は家族がうまくいきかけているのになぜ台無しにしてしまうのかと非難を浴びせます。お互いに対して心の奥底で抱いていた感情が発露し、激しい口論に発展してしまった。

 事情を知っているとみられる義姉はルイに「これでいいのか」とでも言うような視線を投げかけますが、ルイは唇にそっと指をあて、彼女に黙っているよう合図します。

 兄が自身に対して抱いている強烈な感情を目の当たりにし、ルイは自らが抱いていた甘い考えを改める。自分が蔑ろにしてきた時間は一つの告白で帳消しにできるものではないのだと気づき、自らの病を告白することなく家を後にする。

動き出す鳩時計

 最後に動き出す鳩時計は、彼が兄の怒りに向き合い、それを受け入れたことでようやく止まっていた家族の時間が動き出したのだという比喩表現だと思われます。あるいは、鳩が床に転がっている点も考えると、時が動き出してしまった以上、もはや彼に残された時間は残り少ないということも暗示しているのかもしれません。

 ルイに残された時間はもう少ないのかもしれませんが、それでも彼はそこから新たに家族との関係を始めなければなりません。そうでなければ帰ってきた意味がないのです。

 彼の病を知らない母親はルイに対し、「次(来るとき)は大丈夫だから」と優しく語り掛けます。

おわりに

 少々主人公のルイに対し厳しい感想になってしまいましたが、たった一つの感動的なお話だけで家族が団結できるわけではないということを思い知らせてくれる作品でした。個々の家族にはそれぞれ歴史があり、それは長い時間と大きな苦労を費やして築きあげていかなければならないのでしょう。

    本作の登場人物は口下手かつ不器用で、会話が弾むようなシーンはほとんどありませんでした。家族同士のぎこちない会話や、特に兄弟同士の気まずい空気は日本人の肌感覚にもわかりやすいものであったと思います。

    田舎の閉塞感と具体性の無い自由への羨望もわりと理解しやすいテーマであり、こういったものは国を問わずどこにでもあるのだと改めて感じられました。

 母親の、「(ルイを)理解はできないけれど、愛している。この愛はだれにも消せない。」という言葉は美しくもありますが、家族であっても深い意味で通じ合うことはできないのだという諦めを感じさせる切ないものにも思えます。

 

 ルイの義理の姉を演じるマリオン・コティヤールは現在公開中の『マリアンヌ』にも出演していますが、メイク一つでここまで雰囲気が変わるのかと驚かされます。彼女を含めた役者陣の演技が素晴らしく、家族間の微妙な空気が絶妙に演出されていた作品でした。

 

現在上映中の他作品

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